穴織宮伊居太神社
あやはぐういけだじんじゃ

大阪府池田市綾羽町2-4-5.

祭神:穴織媛(あやはひめ)・応神天皇・仁徳天皇

延喜式攝津國河邊郡 伊居太神社 (?)
攝津國豊嶋郡 爲那都比古神社二座(猪名津彦神社)

五月山の麓に鎮座する。神社の駐車場はないので、車の場合は五月山公園の駐車場を利用した方が良い。府道9号箕面池田線の公園前交差点から入る。公園から境内に直接入ることが出来る。

本来の参道は、猪名川に架かる中橋から東に入ったところ。参道の入り口に立派な灯篭があったが、阪神大震災で倒壊してしまった。階段を上ったところに鳥居と社号標。社号標は式内伊居太神社となっているが、鳥居の扁額は穴織大明神。参道の右側には、穴織媛の墳墓と伝えられる姫室の碑がある。さらに稲荷社・厳島社と境内社が続く。神門の手前左には猪名津彦神社。神門をくぐって境内に入る。舞殿と本殿は立派で良い感じだ。本殿右側には、いくつかの境内社。どの建物も古くて良い雰囲気。NHKの連続テレビ小説で、撮影に使われたらしい(タイトルは忘れました)。ただ、傷みがひどく修繕もままならない様子なのが気がかりだ。

応神天皇の勅命により、猪名津彦神社(いなつひこじんじゃ)の祭神・阿知使主と都加使主(あちのおみ・つがのおみ)の渡来人親子が、呉の国から兄媛・弟媛・呉服媛・穴織媛(えひめ・いろとひめ・くれはひめ・あやはひめ)の4人の織姫を連れ帰った。そのうちの穴織媛を主祭神としている。呉服・穴織は通常くれは∞あやは≠ニ読むが、くれはとり∞あやはとり≠ニも読む。姉の呉服媛を祀るのが呉服神社で、呉服神社を秦下社、当社を秦上社と呼び、秦氏が祀る神社だった。池田市は秦氏の影響の強い地域で、呉服媛・穴織媛の伝承が多く、市内各地に伝承地が残っている。阿知使主と都加使主は東漢氏(やまとのあやし)の祖先で、子孫に坂上田村麻呂がいる。

明治までは池田駅付近(ゴルフ場の場所)に姫室・梅室という古墳があったが、阪急の開通で取り壊された。それぞれ呉服媛・穴織媛の墳墓と言い伝えられていたので、姫室の出土品は呉服神社に、梅室の出土品は当社に納められ、両社に石碑がある。ただ、当社は梅室≠フはずなのだが、石碑には姫室≠ニなっている。呉服神社も姫室≠ニなっている。梅室≠ヘどうなったんやろ?

式内社を主張しているが、延喜式の伊居太神社は川辺郡となっているのに対し、池田市は豊島郡なので無理があるかも。尼崎市の塚口か園田あたりから、遷座したとの伝承もあるが、呉服神社との関係が深く、元からここに鎮座していたんじゃないだろうか。五月山がご神体山だったのかもしれない。末社の猪名津彦神社も式内の爲那都比古神社二座としているが、これも箕面市の為那都比古神社が有力視されている。式内社ではなかったとしても、古くから呉服神社と並ぶ、池田市を代表する神社であることに変わりはない。

旧能勢街道沿い、建石町に境外末社でお旅所の星の宮がある。呉服媛・穴織媛が夜遅くまで機織をしていると、星が降りてきて、機殿を明るく照らしたという。

神社のすぐ近く、猪名川に架かる中橋という橋の北東に、唐船ヶ渕(とうせんがふち)という石碑がある。祭神が、船で猪名川を遡り、ここから上陸したと伝えられている。


参道入り口


鳥居と社号標


扁額

参道

姫室

参道右側の境内社

猪名津彦神社

猪名津彦神社


神門


神門から境内


舞殿と本殿


本殿

本殿

本殿右の境内社

星の宮

星の宮

猪名川と鎮座地の杜、左の山は五月山

唐船ヶ渕の石碑
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