玉作湯神社
たまつくりゆじんじゃ

島根県松江市玉湯町玉造508

主祭神:櫛明玉神
くしあかるたまのかみ

大名持神
おおなもちのかみ

少彦名神
すくなひこなのかみ

相殿:五十猛神
いたけるのかみ

延喜式:出雲國意宇郡 玉作湯神社
合祀式内社:同社坐韓國伊太氐神社

全国的に有名な玉造温泉街から川沿いに南下すると左手に鎮座。温泉街の南端に位置している。

2基の鳥居をくぐって階段の参道を登る。途中、左手に玉作りの工房跡から出土した遺物を収納する建物がある。階段を登り切ると正面に大きな拝殿。本殿は大社造。本殿の奥に、“真玉の泉”という御神水が湧いている。さらに奥に、四角い土塁に蓋をしたような、よくわからない建物があった。注連縄で囲まれていたので、祭祀に関係しているのは確か。境内右手の1段高い場所に、多くの境内社が祀られている。かなり境内は広い。

古代において、盛んに勾玉などが制作された玉造温泉街に鎮座しているので、当然ながら玉作りの祖神・櫛明玉神と温泉の神とされる大名持神・少彦名神を祀っている。相殿の五十猛命は、合祀された式内社・同社坐韓國伊太氐神社の祭神。伊太氐神いたてのかみというのが、五十猛神のことと考えられている。

温泉名は“玉造”だが、神社名は“玉作”となっていてややこしい。古墳時代に玉作りの工房があった地なので、本来の主祭神は櫛明玉神だったのだろう。大名持神・少彦名神は、当地が温泉街として名を知られるようになってから祀られたんじゃないだろうか。


一の鳥居

二の鳥居と階段の参道

参道左手に玉作遺跡出土品の収蔵庫

階段を登ると拝殿

拝殿

拝殿内部

本殿

本殿

社殿全景

本殿の奥にあった不明の建物

真玉の泉

境内右手の1段高い場所に境内社群

境内社群の鳥居

境内社群

玉作湯神社は、玉造温泉・玉造川東岸の小高い林の中に鎮座まします式内の古社であります。
「貞観十三年
(八七一年)十一月神階従四位下を授く」と三代実録に見え、此の地の氏神で旧県社であります。櫛明玉命は天明玉・豊玉・羽明玉・玉祖神などの御異称をお持ちになって居て、天岩戸の前で神々のお計らいで神楽を奏せられた時、真榊の枝に懸けられた八坂瓊勾玉之五百箇御統玉は此の神の御制作であったことは、古語拾遺(八〇七年)にも明記せされ、玉造部の遠祖と仰がれ、此の地の原石を採って宝玉の制作をお司どりになったと伝え、日本書紀(七二〇年)に「素戔嗚尊が天に昇りまさんとする時、羽明玉神(古語拾遺には櫛明玉命とあり)は道に出迎え給いて、瑞八坂瓊の勾玉を献じ、素戔嗚尊は之を御姉天照大御神にお進め給いしこと等記され、当社々伝には三種神器の八坂瓊之勾玉は命が御制作になり給う由申し伝えています。
天孫降臨の際には、櫛明玉命は随従の五部の神の御一神で製玉を司られ、又、古語拾遺に「櫛明玉命は出雲国玉作の祖也」と記され。更に同書に「櫛明玉命之孫、御祈玉
みほぎたまを作る。其の裔、今出雲国に在り、毎年調物として、其の玉を進む」と見えています。当神社の御祭神の命が此の地に於て、此地の原石を以て、宝玉を制作せられた上代の盛業を偲び誠に尊敬にたえません。
大名持命・少彦名命の二神は共に国土経営、医療、医薬及び秘呪の術を創始になり遍く世人に施しその病苦を治癒せらる等、温泉療法・秘呪又は草根木皮を医薬として人命養護の道を拓かれた御祖神としても崇められています。
五十猛命は植林・殖産・産業繁栄の御祖神として御鎮座ましますところであります。

境内案内板より抜粋

inserted by FC2 system