粒坐天照神社
いいぼにますあまてらすじんじゃ
祭神:天照国照彦火明命
(あまてるくてるひこほあかりのみこと)
延喜式:播磨國揖保郡 粒坐天照神社 名神大
手延べ素麺揖保の糸≠ナ有名な龍野の揖保川沿いにある古い市街地に参道入り口があり、周辺の道は非常に狭い。神社背後の山には公園や国民宿舎がある。
2つの鳥居をくぐると階段があり、その途中に神門がある。階段を登りきると拝殿と本殿。本殿左右に多くの境内社がある。境内右奥に、さらに上に行く階段があり、瑜伽神社という境内社がある。かなり広い境内で境内社も多く、さすが式内の名神大社だ。伊和神社・海神社と並ぶ播磨三大社といわれたというのも納得できる。
社名は天照神社だが、伊勢神宮の天照大神とは異なり、火明命を祭神としている。ここに限らず、関西では天照と名の付く神社の多くは火明命を祭神としている。女神の天照大神が皇祖神とされる以前の太陽神だった可能性が高い。火明命は天照大神の孫で饒速日命(にぎはやひのみこと)と同一とされることが多いが、播磨国風土記では大汝命(オオナムヂ=大国主)の子として登場し、かなりの暴れん坊として描かれている。船で火明命と共に播磨灘にやってきた大汝命は、その暴れっぷりに手を焼き、火明命に山から水を汲んで来るように命じた。汲み終わって火明命が帰ってきたら大汝命はすでに船出した後だった。だまされて捨てられたことに気付いた火明命は怒り狂って暴風雨を巻き起こし、大汝命の船を難破させてしまったという。他の書物には見られない播磨独自の伝承だ。
社伝では、火明命の使者から稲の種(これをイイボ≠ニ呼んだ)を授かり、植えたところ大豊作となったため、当地を粒(イイボ)と呼ぶようになったという。揖保郡・揖保川などの地名起源説話である。しかし、播磨風土記では全く違う起源説話を伝えている。風土記では、葦原志挙乎命(あしはらのしこおのみこと=大国主)と天日槍命(あめのひぼこのみこと)が争い、葦原志挙乎命が先に国を占拠するため、丘に登って飯をたべたところ、口から米粒が落ちたことから粒丘(いいぼおか)と呼ぶようになったとしている。
大国主(葦原志挙乎命)と火明命の両方に揖保の地名起源説話があることや、風土記の大国主(大汝命)と火明命の仲が悪かったという説話を考えると、大国主を奉祭する氏族と火明命を奉祭する氏族が、揖保郡の支配権を争ったのかもしれない。
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拝殿 |
本殿 |
社殿遠景 |
境内社 |
瑜伽神社参道 |
瑜伽神社社殿 |
延喜式に揖保郡七座の一つと記載され、宍粟郡一宮町の伊和神社、垂水の海神社とともに播磨三大社の一つです。 (境内案内板より) |