阿射加神社(大阿坂)
あさかじんじゃ

三重県松阪市大阿坂町670

主祭神:猿田比古大神
さるたひこのおおかみ

配祀:伊豆速布留神・底度久神
いずはやふるのかみ・そこどくのかみ

延喜式伊勢國壹志郡 阿射加神社三座 並名神大

伊勢自動車道の松阪I.C.を下りてすぐに左折し、2`ほど北上してから左折。小阿坂の阿射加神社の北約1`ほどの場所。

一の鳥居の脇に、注連縄が巻かれた石がある。石の上部には穴が開いているので、手水鉢のようにも見える。境内社らしき祠もある。祠にはトタンの屋根がついている。参道は結構長い。神門をくぐって正面の、垣の中に神明造の本殿がある。本殿にはブルーシートが掛けられていた。境内右手に境内社があるのだが、この境内社の付近に、注連縄が巻かれた小さな石が3つあった。3つとも変わった形をしているが、磐座だろうか?随分と小さい磐座だ。

主祭神のサルタヒコは、古事記に、伊勢国阿邪訶(あさか)の海でヒラブ貝に挟まれ、溺れ死んだと記述されている。大阿坂・小阿坂の両阿射加神社は、どちらも式内の阿射加神社三座のうちの一座とされている。ならば、もう一社ないとおかしいが、所在不明とされているようだ。あるいは、元々両社は1社で、後世に分かれたという説もある。本社と分社という関係ではないようだ。

サルタヒコが海に潜ったときに、貝に挟まれて溺れた時の3つの、底度久御魂(そこどくみたま)・都夫多都御魂(つぶたつみたま)・阿和佐久御魂(あわさくみたま)が本来の祭神という説がある。もしこの説が正しければ、延喜式の三座とは、この三つの名(御魂)を指しているのかも知れない。

伊勢国では、名神大社に列せられているのは、当社と多度大社のみ。なぜか伊勢神宮は、ただの大社で名神大社ではない。さらに、六国史の1つである三代実録に、従三位の神階が与えられたという記述があることから、当時は相当格が高い神社だったのだろう。また、サルタヒコの総本社は、現在は伊勢国一宮の椿大神社(つばきおおかみやしろ)とされているが、椿大神社は延喜式で小社であることから、阿射加神社が本来の総本社だったかも。


一の鳥居


鳥居脇の穴が開いた石


境内社?

二の鳥居


三の鳥居


神門


瑞垣


本殿


本殿裏から

境内社

境内社の本殿

境内社の磐座1

境内社の磐座2

境内社の磐座3

 

  阿射加神社(小阿坂)
あさかじんじゃ

三重県松阪市小阿坂町120

主祭神:猿田彦大神
さるたひこのおおかみ

配祀:伊豆速布留神・竜天大神
いずはやふるのかみ・りゅうてんおおかみ

延喜式伊勢國壹志郡 阿射加神社三座 並名神大

伊勢自動車道の松阪I.C.を下りてすぐに左折し、阿坂小学校前のバス停を左折。突き当りが参道入り口。

一の鳥居をくぐると、苔むした境内に囲まれた参道を行く。途中、2つの鳥居に挟まれた小さな石橋がある。橋はあっても川はない。2本のご神木を過ぎると参道終点。正面に鳥居と垣に囲まれた本殿が3棟ある。この本殿はちょっと変わった造り。普通、神明造は平入りだが、ここの本殿は妻入り。ウィキペディアには大社造と書いてあるが、どう見ても大社造ではない。かといって神明造でもない。千木はX状にになっておらず、神明造と同じ様に屋根から直接出ている。境内社も同じ形式の本殿になっている。


一の鳥居


二の鳥居

鳥居と石橋

鳥居と石橋

ご神木と境内

拝殿

拝殿から本殿

変わった造りの本殿3棟

境内社の鳥居

境内社の本殿

 阿射加神社は、平安時代初期には県内でも数少ない延喜式内大社格に列せられていた古社で、猿田彦命(さるたひこのみこと)を祭る。境内で毎年一月十四日夜に行われる御火試おひだめし・粥試神事かゆだめししんじ及び小阿坂のかんこ踊り、それに境内の社叢は松阪市文化財に指定されている。

(境内の案内板より抜粋)

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