神服神社
かむはとりじんじゃ

大阪府高槻市宮之川原元町1

祭神:素盞嗚命・速日命・麻羅宿禰
すさのおのみこと・ひのはやひのみこと・まらのすくね

延喜式攝津國嶋上郡 神服神社

国道171の今城交差点から府道6を北上し、満福寺交差点を右折。橋を渡ってすぐ、殿町交差点を左折。名神高速の高架下をくぐってから500メートルほど行った信号を左折すると、右手に鎮座。

鳥居をくぐって境内に入ると、正面に寺院風の拝殿が見える。その奥に中門があり塀に囲まれた本殿がある。境内の左右に境内社がある。住宅街の静かな境内だが、目の前が小学校なので、登下校時は賑やかだろう。。

一般的には“しんぷくじんじゃ”と呼ばれているらしい。社伝によると、第19代允恭天皇の頃に創建されたという古社。この地は服部連はとりべのむらじの居住地であり、その氏神を祀ったと思われる。地名も服部郷と言っていた。周辺には服部連の墓と思われる古墳が点在している。元々は服部神と称していたが、平安中期に神服神社に改称したらしい。

服部連は複数の氏族が存在しているが、いずれも機織部はたおりべ・はとりべを統括した氏族で、当地の服部連は火の神である熯之速日命とその十二世孫である麻羅宿禰を祖神と仰ぐ一族。ちなみに、忍者として有名な服部半蔵は、まったく別の服部氏。

“服部”という漢字を“はっとり”と読むのは、「はたおり→はとり→はっとり」という転訛から生じたもの。


鳥居


境内


拝殿


中門


本殿


社殿全景


境内左の稲荷社


境内右手の境内社

平安時代以来の延喜式内の古社
素盞嗚命・熯之速日命・麻羅宿禰の三神を祭る
この地和名抄にいわゆる「服部郷
はとりのごう」で諸国の織部はとりべの部民を統括した服部連はとりのむらじ居住地である。傳承では允恭天皇の時麻羅宿禰が織部司おりべのつかさに任ぜられたというから八・九世紀のころ服部民の氏の神を勧請しあわせて民族の始祖をその本貫の地に祀ったのが創始である。
当時は「服部神」と呼ばれのち、醍醐天皇の延喜年間(一〇世紀初頭)神服神社と定められ現在に至っている。
維新以前、神佛混交の時代には安岡寺の社僧が執務したが、明治初年にこれを廢し同五年には郷社に列した。
また近世には農耕、養蚕の神として村民の信仰厚く、社前の鳥居は延宝六年(一六七八)雨乞いの祈願成就の折建立されたもの祭礼は毎年五月五日古くは棒振りの神事があり、神輿は阿久刀神社までお渡りがあった。
民地は広く、塚脇、宮の川原、浦堂、大蔵司、西の川原を含ひ旧服部村一円にわたっている。

境内の案内板より抜粋

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