鴨神社
かもじんじゃ

兵庫県川西市加茂1-4-2

祭神:別雷神
(わけいかずちのかみ)

延喜式:攝津國河邊郡 鴨神社

川西市の中心地・川西能勢口から県道13(通称産業道路)を南下し、加茂交番前を右折(西進)し、右手(北側)に境内入り口がある。

階段の上に鳥居があり、加茂遺跡の石碑がある。参道は、住宅地の神社としては杜が豊か。参道左手に注連縄が巻かれた石があるが、新しい石のようだ。磐座といっていいのだろうか?社殿は全て鉄筋コンクリート。阪神大震災で被害を受け、再建された。境内左手に境内社。本殿の左右にも境内社がある。本殿右の境内社の裏にも、さらに境内社がある。

境内は加茂遺跡と呼ばれる複合遺跡で、相当古くから集落があった地だ。特に近畿式銅鐸が出土しており、弥生時代の遺跡として有名。かも≠ニ名がつく神社は、弥生遺跡と隣接している場合が多い。かも(賀茂・加茂・鴨)族の居住地だったので、氏神の別雷神が祀られているのだろう。京都の上賀茂神社と同じ祭神だ。


境内入り口


鳥居


参道

磐座?

拝殿

本殿


本殿左の境内社


本殿右の境内社


本殿右の境内社の裏に更に境内社がある

境内左手の境内社

 鴨神社の御案内

 鴨神社は、兵庫県川西市加茂の地に御鎮座されています。『延喜式』と言う、今から一千年以上昔に作られた書物の摂津国川辺郡の項に記載されていることから、創立年代は相当古いと思われますが、現在神社には古文書などの歴史を探る資料は全く残されていません。
 御祭神は「別雷命」をお祀りしています。これは『摂津群談』に「山城國加茂社に同じ、當社本居の村民洛に登って加茂に詣るに、社家火を忌事を許すと也」とあり京都の加茂社との関係を想定しての出来事とも考えられます。
 しかし、『新撰姓氏録』の摂津國皇別の項には、「鴨ノ君日下部宿禰同祖彦坐命之後也」とあり、また同國神別には「鴨部祝加茂朝臣同祖大国主神後也」との記述があり、鴨神社の御祭神と関係があると思われます。
 境内社として、天照皇大神社・春日神社・松尾神社・荒神社・稲荷神社・熊野神社・愛宕神社・多賀神社・の九社がお祀りされています。
 鴨神社が御鎮座する川西市は、兵庫県の東端に位置し、東は猪名川を隔て大阪府池田市に接し、西は宝塚歌劇で有名な宝塚市、南は大阪国際空港のある伊丹市に接して、現在では住宅地としての開発が進み、阪神間の振興地です。
 さらに鴨神社を語るのに欠くことの出来ないものに、「加茂遺跡」があります。
これは鴨神社を中心に約200メートル四方に存在し、旧石器時代から平安時代の集落跡で特に弥生時代中期には大規模集落が営まれていました。約二千数百年以前の弥生式文化を営んだ人々が生活していたところです。
 この遺跡が知られたのは古く、明治44年に大型の銅鐸が出土しており、早くから考古学者の注目を引いていました。
その後大正から昭和にかけて、氏子宮川雄逸氏によって、多数の弥生式土器と石器の採集が行われ「宮川石器館」が開設されるに及んで、考古学界で特筆される遺跡となりました。
 平成4年6月には、社殿の裏手より古代小国家の首長の館跡と思われるものや、防御施設とする土塁や柵跡が発掘され、新聞の全国紙面で報道されました。
 現在わかっている加茂遺跡の考古学的成果と鴨神社の創立由来を直接的に結びつけることはできませんが、鴨神社が弥生式遺跡の中心地に鎮座していることは事実であり、推測すれば、鴨神社の創始は、弥生時代以来の地域集落の住民の安全や、稲作の豊穣を願う祈りの場所であったに違いないと考えられます。さて、鴨神社の氏子戸数は、約四千戸であり、古くからの氏子の方は、都市近郊でありながら稲作や畑作の専業農家として生計を立てておられ、自然の恵みに感謝され、氏神様へも深く崇敬されています。
 鴨神社の恒例のお祭りで、特別に変わったお祭りはありませんが、四季の二月二十日は祈年祭。七月三十一日には茅の輪を設け、湯立神楽をする夏祭。十月十六日は例大祭で御神幸があり、お神輿・だんじり2台・お稚児さんなど約三百人ほどでのお渡御があります。十一月二十六日新穀感謝祭が行われ、それぞれ多数の氏子の皆さんが参列され、お祭りが行われています。
 鴨神社の現在の境内地は約四千坪あり、近郊にはめずらしい程の緑深い森が、加茂遺跡と共に残されており、氏子の皆さんのコミュニティーの場となっています。

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