伊弉諾神宮
いざなぎじんぐう
主祭神:伊弉諾大神
いざなぎのおおかみ
配祀:伊弉冉大神
いざなみのおおかみ
延喜式:淡路國津名郡 淡路伊佐奈伎神社 名神大
神戸淡路鳴門自動車道の津名一宮I.C.を下りて、県道88を西に行くと、鳥居が見えてくる。県道の両側には、ずっと灯篭が建てられているので、迷うことはない。
鳥居前の交差点を反対側に行くと、小さな鳥居が立っている田んぼがあり、御斎田と書かれた看板がある。神に捧げる米を作る、いわゆる御神田だろう。一の鳥居をくぐって参道を行くと、右手に池があり、その中に祠がある。境内案内図では、水神≠ニ書かれている。門から中に入ると、正面に拝殿、その奥に本殿があるが、本殿は屋根以外はあまり見えない。この本殿が建っている場所は、元々、伊弉諾大神の御陵と伝えられる古墳で、禁足地とされていたが、明治時代に本殿が移築されたらしい。神門前の池は、古墳の堀の名残なんだとか。本殿の右手には、末社や伊勢神宮遥拝所、ご神木の夫婦の大楠%凾ェある。遥拝所奥の東門から外に出ると、淡路祖霊社がある。
別名を幽宮(かくりのみや)≠ニいう。日本書紀の国生み神話の主人公、伊弉諾尊・伊弉冉尊(いざなぎのみこと・いざなみのみこと)の男神、伊弉諾尊を主祭神とする。日本書紀では、淡路の多賀(当地)に、古事記では、淡海(滋賀県)の多賀大社の地に鎮座したとされている。日本書紀と古事記で記述が違うが、意外とこの2つの史書は食い違いが多い。これは編纂当時、すでに複数の伝承があったからだろう。延喜式では、当社が名神大社、多賀大社は小社なので、当地が本家と考えられていたんだろう。ただ、どちらの地名も多賀なので、どちらも相当古い時代から、イザナギの鎮座地と考えられていたことは間違いない。
国生みの神を祭神としていることから、最古の社と由緒書きには書かれているが、妻神の伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀る、三重県の花の窟(はなのいわや)神社や、奈良県の大神神社など、最古の神社を名乗る神社は数多い。
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橋と神門 |
神池の中の水神 |
拝殿 |
拝殿内部 |
伊勢神宮遥拝所 |
境内社 |
本殿の屋根 |
夫婦大楠 |
東門 |
祖霊社 |
古事記・日本書紀には、国生みに始まるすべての神功を果たされた伊弉諾大神が、御子神なる天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「幽宮かくりのみや」を構へて余生を過ごされたと記される。その御住居跡に御陵みささぎが営まれ、至貴の聖地として最古の神社が創始されたのが、當神宮の起源である。地元では「いっくさん」と別称され日少宮ひのわかみや・淡路島神・多賀明神・津名明神と崇められてゐる。 (神宮発行の由緒書きより抜粋) |