伊弉諾神宮
いざなぎじんぐう

兵庫県淡路市一宮町多賀740

主祭神:伊弉諾大神
いざなぎのおおかみ

配祀:伊弉冉大神
いざなみのおおかみ

延喜式:淡路國津名郡 淡路伊佐奈伎神社 名神大

社格:淡路国一宮旧官幣大社

神戸淡路鳴門自動車道の津名一宮I.C.を下りて、県道88を西に行くと、鳥居が見えてくる。県道の両側には、ずっと灯篭が建てられているので、迷うことはない。

鳥居前の交差点を反対側に行くと、小さな鳥居が立っている田んぼがあり、御斎田と書かれた看板がある。神に捧げる米を作る、いわゆる御神田だろう。一の鳥居をくぐって参道を行くと、右手に池があり、その中に祠がある。境内案内図では、水神≠ニ書かれている。門から中に入ると、正面に拝殿、その奥に本殿があるが、本殿は屋根以外はあまり見えない。この本殿が建っている場所は、元々、伊弉諾大神の御陵と伝えられる古墳で、禁足地とされていたが、明治時代に本殿が移築されたらしい。神門前の池は、古墳の堀の名残なんだとか。本殿の右手には、末社や伊勢神宮遥拝所、ご神木の夫婦の大楠%凾ェある。遥拝所奥の東門から外に出ると、淡路祖霊社がある。

別名を幽宮(かくりのみや)≠ニいう。日本書紀の国生み神話の主人公、伊弉諾尊・伊弉冉尊(いざなぎのみこと・いざなみのみこと)の男神、伊弉諾尊を主祭神とする。日本書紀では、淡路の多賀(当地)に、古事記では、淡海(滋賀県)多賀大社の地に鎮座したとされている。日本書紀と古事記で記述が違うが、意外とこの2つの史書は食い違いが多い。これは編纂当時、すでに複数の伝承があったからだろう。延喜式では、当社が名神大社、多賀大社は小社なので、当地が本家と考えられていたんだろう。ただ、どちらの地名も多賀なので、どちらも相当古い時代から、イザナギの鎮座地と考えられていたことは間違いない。

国生みの神を祭神としていることから、最古の社と由緒書きには書かれているが、妻神の伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀る、三重県の花の窟(はなのいわや)神社や、奈良県の大神神社など、最古の神社を名乗る神社は数多い。


境内案内図(クリックすると拡大します)


御斎田


鳥居と社号標


橋と神門

神池の中の水神

拝殿

拝殿内部

伊勢神宮遥拝所

境内社

本殿の屋根

夫婦大楠

東門

祖霊社

 古事記・日本書紀には、国生みに始まるすべての神功を果たされた伊弉諾大神が、御子神なる天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「幽宮かくりのみや」を構へて余生を過ごされたと記される。その御住居跡に御陵みささぎが営まれ、至貴の聖地として最古の神社が創始されたのが、當神宮の起源である。地元では「いっくさん」と別称され日少宮ひのわかみや・淡路島神・多賀明神・津名明神と崇められてゐる。
 本殿の位置は、明治時代に後背の御陵地を整地して移築されたもので、それ以前は、禁足の聖地であった。御陵を中心として神域の周囲に濛
ほりが巡らされたと伝へ、正面の神池や背後の湿地はこの周濛の遺構とといふ。
 建物や工作物は明治九年から同二十一年に造営されたものが殆んどだが、神輿庫及び東西の御門は、旧幕時代の阿波藩主の寄進による。
 境内地は約一万五千坪。沖積地にあって天然記念物の大楠など照葉樹林に覆はれ、四季を彩る草木が繁茂する日本最古のお社である。江戸時代の地誌によれば、二丁四方の社地を領したとあり、広大な神域であった。

(神宮発行の由緒書きより抜粋)

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